書籍・雑誌

2015年1月13日 (火)

実はスピリチュアル好きです

昨日は成人式の日。
めでたくも成人となられたみなさま、ご家族のみなさま、おめでとうございます。

FBやメールで友人のお子様たちの艶やかな姿をながめつつ、色んな事があるけど、ともかく生きて20歳を迎えて本当によかったね・・・と、こちらも嬉しくなりました。

結構しんどい思いをしてきた親子さんたちだから余計にそう思ったのかもしれませんが、普通に大きくなったとしても、大変な思いをして大きくなったとしても、親子の数だけドラマがあって、いろんな思いがあって、だからこそこういう人生の節目を迎えた時に、感慨深いものがあるんだろうな・・・と思います。

そして、今後訪れる我が家の様々な節目を、親として淡々と迎えられたら・・・と思います。



うちはまだまだ先・・・と思っていても、きっとあっという間だろうな・・・コワ。




さて、今日は久しぶりに本の話。

年末にAmazonで何冊か注文して、きっとお正月3が日明けて届くかな・・・と思ってたら、元旦のそれも午前中の、まだ雪が残る中、ヤマトさんが配達に来られました。

正直本のことなんか忘れてたのでビックリ。

日本の流通システムすごい。





どなたかのブログで紹介されてて、スピリチュアルの話~面白そう~~と思って買ってみたのですが、面白かったです。

魂レベルで書かれた心理的な話なんですが、ようするに、ありのままの自分を認めていこうよ・・・という「Let it go」なことが書かれています。

ありのままの自分を認めてやるには、自分の本当の姿を知って、いいとこも悪いとこもみんなひっくるめて大好きになろう・・・、と、かいつまんで言えばそういうこと。
そして、今の時代に生まれてきた理由は「愛を学ぶため」・・・だそうです。

この「愛を学ぶために生まれてきた」っていう話は、他のスピリチュアーさんからも聞いたことあって、これって、奥が深いよね・・・とその時も思いました。

自分を愛さなければ誰の事も愛せない。

反省ばかりしていたのでは、自分を愛せない。
こんな自分もあんな自分もひっくるめて許すことで、本当に愛する意味がわかってくる。

「愛する」というと、他人や家族など周囲の人や動物に向けられるエネルギーのことだとおもってきましたが、究極は自己愛なんだと、ここ数年で気づいたことです。

「自己愛」って、利己的なイメージを持ちがちですが、少し見方を変えると、ダメな自分を許すことで、人に優しくなれるんだ・・・と考えると、利己的とは意味合いが変わってくると思うんです。
もちろん、自分に厳しくする時も必要なのかもしれませんが、もともと自分に厳しすぎるなら、ちょっとその程度をゆるめることで、もっとやわらかな空気に包まれてくる・・・と思うんです。


子育てしてて、子どもを導いたり教えるのが親の仕事じゃなくて、その子の思いに寄り添い見守るのが親の仕事だとわかってはいても、寄り添うのは意外と難しいと感じてました。
それは、自分の気持ちに寄り添う事をしてなかったからなんですね。
だからできなかった、難しかった。



この本の中では、自分に厳しく生きてきたからついつい子どもにも厳しくあたっちゃうんですよ・・・と優しく書かれていますが、要するに、己のことを何もわかってなかったんだと、過去の自分をそう思います。

自分を愛することで、子どもの気持ちを考えるようになったし、自分がまず楽しむことで、人も楽しませることができると知りました。


実は、この本に書かれてる事は、私としてはもう気づいてたことなんですが、でも、とってもわかりやすく、そして、スピリチュアル好きな私の心をくすぐるお話もあって、おススメの一冊です。

毎日が楽しい人もそうでない人も、なんだかいつも同じ穴に落っこちゃうという人も、そもそも私の人生に穴なんかないしという人も、是非読んでみて下さい。
宇宙の法則がわかります(?)

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2013年1月28日 (月)

「のんちゃんのふとん」を読んで。

今朝は、寒い雪の朝となりました広島県地方。

P1280720

昨夜から降ってたけど、思ったより積雪少なかったので、ドタバタと慌てた朝にならずにすみました。

今はもう、ほとんどの雪が消えてなくなりました。

今日、私は仕事も予定もなく、家から出ないですむぞ、ラッキー!!と思っていたら・・・
忘れてましたよ、彼♂の散歩を。

しかも、いつもより出る時間が遅くなったのがお気に召さなかったのか、やたら私に跳びかかるわ、おやつ出せと襲いかかわるわ、からんだリードを引っぱってたら首輪が抜けるわ、散歩途中にも落ちてた物(破れたゴムサンダル)をくわえて離さないわ・・・で、トラブル続き。

暖房きいた家の中で呑気に雪景色眺めたかったのに・・・・・。

しかし、首輪が抜けると、ドキっとしますね。
今日は、抜けた事にも気づかなかったのか、ひたすら、私に飛びかかることにご執心で、脱兎のごとく走り出すこともなかったので良かったですが、アっと思っても、10kgを取り押さえて、抱き上げるのは容易ではなく、どっかへ逃走・・・ってことになりかねん、と想像するだけで恐怖ですわ。

リードなくても、どこへも行かないように訓練すればいいわけですけど、あのやんちゃぼうずのリードを手放す勇気が私にはないです。
きっと、ハチ逃走中・・・ってなるに決まってらあ~~。



さて、本題に戻りまして、久々の読書感想文です。

先週、ポッカリ時間があいて、夏休み以来となる図書館へ行きました。
ここ2年ほど、私はめっきり読書量が減り、図書館でかりてきても、最後まで読めずに返却・・・ということが続き、どうしても読みたい本もなく、文庫でも買っときゃいつでも読めるから、と本屋に行っては文庫を買う、ぐらいで、しかも、心揺さぶる本には出会えず。
息子が貸りてきた児童書を息子の読後に読ませてもらったり・・・な日々が続いてました。

本読まなくても、日々の生活には全く困らない・・・わけですよ。
活字中毒のような状態の時もあって、あんだけ読んでたのは一体なんだったんだ、とか思ってきたりしてました。


ある人と、とある作家の話になった時、私はその作家好きではないんだけど、でもあのイヤだった感触が違う作品でも感じるかな・・・と話してる内に気になって、図書館で貸りてもう一度あの作家読もう・・・と思っていました。
でも、図書館行ってびっくり。
さすが人気作家。何冊かある作品全てが、貸出中。
予約する気になれず、結局その日はあきらめました。

代わりに、本棚の間をぶらぶらしていて見つけた本が、ちょっと良かったです。




「のんちゃんのふとん」 北川悦吏子 (角川書店)

北川悦吏子という脚本家は、「ラブジェネレーション」や「ビューティフルライフ」などのドラマでご存知の方も多いと思います。
人気脚本家だったのに、「オレンジデイズ」後あまり名前聞かなくなったな・・・と思っていたら、ご病気だったのですね。

この本は、そんな闘病中に、ご自身のオフィシャル・ブログに書かれた物をまとめた本です。

のっけから、とてもネガティブな書き出しで、タイトルにもなった「のんちゃんのふとん」は、同じ年代の子を持つ親としては、胸が痛くなる辛さがあります。

どういうご病気なのか、ご家族の意向もあり病名は公表されていませんが、かなり痛みが激しく、手術後の入院中には精神まで病んでしまわれ、きっと想像をはるかに超えた痛みだったんだろうな・・・と、読んでいて自然と顔が歪んできました。エッセイのほとんどの部分は、退院後に更新されたブログで、闘病記という形で書かれています。



思い出すだけで、またつらくなるのに、なぜ書くのか。
これは、私にとって必要なことなのです。
それも、今の私、ではなく、あの時の私に。
あの、病院にいた時の私にとって。


 (本文中より抜粋)



北川さんも作中で書いておられますが、人生の中で忘れてしまいたいような辛い経験をした時、そこから抜け出すには色んな他人の力ももちろん必要だけど、でも、最後にはもう一度、振り返って、その大変な思いをした自分を、自分自身で慰めてやる必要性もある・・・と思います。
それは再体験するようで辛い作業かもしれないけど、自分で自分を癒す・・・って大切なことではないかと思うのです。


書くことで気持ちの整理ができる・・・ことにも触れていらっしゃいます。

これを読みながら、書くことと、読むことは、つながってるような気がしました。
心を整理したり、漠然と考えてた事を言葉にしたり、その言葉と同じものを本の中に見つけたり。

読んで、書いて、また読んで・・・。

本はやっぱり、いいなあ~~。
(あっさり、前言撤回。)



このエッセイの中での、北川さんと娘さんの日常に、ほっとします。

私と同年代の北川さん。
お仕事も再開されているようですが、これからも、お身体を労わりながら、おもしろいドラマとエッセイを書いていただきたいです。

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2012年7月11日 (水)

夏になると・・・

今日は、この2日のいい天気から、また梅雨に戻って朝からどんより、時折雨も降っています。

この前から、読書記事を書こうとしながら、読後感想文が苦手な私は、じっくり時間を取らねば書けないので、先送り先送りになっていました。
暑くなってくると、何故か読書熱が上がるのは、高校生の頃からで、当時、クーラーなどない瀬戸内のベタ凪の中で、畳に寝転がり、だらだらと流れる汗を拭きながら文庫本を読んでいました。
今も、とてもひんやりとは言いがたいフローリングや畳に寝転んで、氷をぎっしり入れたお茶を片手に、読書に励み、うたた寝をするのが楽しみ。
夜の読書も、秋の夜長より熱帯夜・・・という、なんとも変わり者。

さて、
最近読んだ本の中で3冊ほどをご紹介します。

まず1冊目。

「シャーロットのおくりもの」E・Bホワイト著:さくまゆみこ訳



映画もあるそうですが、世界的に有名なこの児童書を、私は読んだことがありませんでした。
話の内容も知らないし、何の予備知識もなく、息子が通うこども文庫で目にし、なにげなく借りて帰りました。
訳がとても良くて、スムーズに読み進めるな~これなら息子も読めそうだな~と思ったのは最初の内だけ、お話の展開に引き込まれながら、ラストに近づくにつれ、涙が止まりません。
ただ、そこに生きているだけでいいんだ・・・というメッセージが行間から躍り出てくるような、そんなやさしさに満ちた物語でした。
クモのシャーロットは、母であり友人であり仲間のリーダーでもあり、そのすべての役割を見事にこなしていて、
あーこれはある意味人としての理想形だな・・・と感じました。
天から降りてきた神・・・かもしれませんね。
そして、登場人物たちは、この世の煩悩を抱えた人間。
いかなる稚拙さや、煩悩や、罪におおわれていても、生を全うすることが生きる道なのだと、まるで、ブッダに説かれているが如く心が洗われていくような読後感でした。

次も児童書、しかし、児童書とはいえかなり重い内容です。

「おやすみなさいトムさん」 ミッシェル・マゴリアン著:中村妙子訳

こちらは、「シャーロットのおくりもの」を返却に行って、こども文庫のボランティアの方に薦められて読みました。
第2次世界大戦中の、イギリスの片田舎へ、ロンドンから疎開してきた男の子と受け入れ先の一人暮らしのトムさんの物語。
このウィリアムという男の子は、今でいう虐待とネグレクトを母親から受けていて、自分は悪い子で、愛される価値のない人間だと思い込んでいます(そう植えつけられているのですが・・・)。
そのウィリアムが、トムさんをはじめ、同じ疎開児童の友人や、周囲の人々の温もりに触れ、心身共に元気を取り戻します。
その矢先に訪れた不幸・・・。
このくだりは、涙なしには読めませんし、子どもが読むには辛すぎる気がします。
もう本当に立ち直れないのではないかと思われるような状況の中、それでも、ウィリアムを信じて、自分の足で立ち上がるまで、あたたかく見守るトムさん。
信じて待つ・・・という深い愛に支えられ、その後また見舞われる不幸からも立ち上がった時、ウィリアムは、「生きてるっていいな~」と心から思うのです。
これほど、ハッピーエンドにほっとした物語もないでしょう。

実際には、虐待で受けた心の傷を癒すのは、そんなに簡単な事ではなく、数年という単位で月日が必要だと思いますが、人間から受けた傷は、人間の愛で癒すしかないのだということと、どんなに優しい支援者が傍にいたとしても、最後は自分自身の力で立ち上がるしかないのだという事を、この本は教えてくれました。


最後に、
大好きな宮部みゆきさんの時代物。
「ぼんくら 上下巻」 宮部みゆき著



宮部さんの時代物の代表作と言われています。
同心 井筒平四郎は、生来の怠け者で細君からも子どものようだと言われ、なにかっていうと「面倒くせえ~」が口癖ですが(どっかの誰かみたい・・・)、心根が優しく、付近の住民からも慕われている、庶民派のお役人。
その、ちょっと変わった平四郎と長屋の住人たちで繰り広げられる、江戸前ミステリー。

もうとにかくウィットに富んだ会話がおもしろくて、途中何度も笑い声をあげるので、息子が何を読んでいるのか・・・不思議がったほど。
上下2巻あっという間に読んでしまいました。
宮部さんの現代物は、これを読む前に、吉川英治文学賞を受賞した「名もなき毒」を読みましたが、やはりこの人の良さは、江戸の市井の人々の優しさを描いた時代物のような気がします。
少なくとも、私は、時代物の方が好きです。
読後感にやりきれない思いが残るような本は、最近富に嫌になってきています。
ハッピーエンドじゃなくても、生きる喜びや悲しみが感じられ、人っていいなあ~~と思えるような優しさを求めるようになってきました。

目を覆い、耳を疑いたくなるような事件の背景にも普通の人々の善悪が混然とし、悪事を働いた者の心中にも闇と共に光が見える・・・とでも言った、深遠な人間観に、少しほっとさせられる物語でした。


この3冊、人間の尊厳を考えさせられ、人の優しさに心が和む、私にとってはいい本でした。

それにしても、毎度のことながら、児童書の奥深さには、まいった。
また、いい本に出会うために、久々に図書館通わなくっちゃ。

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2011年10月18日 (火)

「内部被曝の真実」読みました。

自分では買わなかったかもしれないですが、小学校のPTA文庫の新刊で入ってきてたので貸りてみました。
国会での証言がかなり衝撃的だった、東大の児玉教授の、その国会答弁を含む書籍。
化学にうとい私に読めるかしら・・・と不安もありましたが、結構おもしろく読むことができました。

自然界には存在せず、1940年代までは検出されることはなかった、セシウム。
このセシウムが人体に入り、内部被曝すると、遺伝子を傷つけやがてガン化すること。

遺伝子DNAは、細胞が細分化する時に2本の鎖が1本になり、その時にセシウムにより傷つくと、そこから20~30年かけてガン化すること。

なので、子どもたちを守るために、除染が急がれること。
将来に不安を残さないために、今できうる最大限のことを、最優先でやらなくてはならないこと。
人間が自らの手で汚染させてしまった国土だが、同じ人間の手で元の戻すことも可能であること。

歴史をみ、世界をみて、よりよい方向を指し示すことが専門家の仕事だ・・と児玉教授は言います。
南相馬市にボランティアで出向き、計測と除染を、幼稚園・保育所を最優先で行われているそうです。
その最中での、あの国会答弁。
答弁の中で、繰り返し、繰り返し、「とにかく早期の除染と、徹底した計測。子どもたちの将来を守ってほしい。」ことを訴えられています。

化学的なデータが書かれた部分は、正直言って、わかりづらいですが、全編にわたって、人間の優しさにあふれ、医師としての使命のようなものを感じる文章だと思いました。
血のかよった文章から、なにかしら心に訴えかけるものがある本でした。




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2011年9月 8日 (木)

癒しの場所

今日も日陰は大変涼しく、朝は半袖では寒いくらいに感じました。
こう一気に季節が進むと、毛糸で編むのも苦じゃないけど、でも、お仕事の作品が完成してから、モチベーションが下がったまま。
編み物はまるで進んでません。

そんなんで、今日は、本の話。

息子の小学校の図書ボランティアを昨年からやらせていただいてます。
主な仕事は、本の整理と修理。
私が小学生だったウン十年前は、小学校の図書室に専任の司書の先生がいて、当時、通っていた小学校にも、若くてきれいな女の“図書室の先生”がいらっしゃいました。
図書委員をしていた私のあこがれのとても優しい先生でした。
その頃の私の夢は、図書室の先生になること。
大好きな本に囲まれてのお仕事ができたら、なんてステキなんだろうと思っていました。
様々な事情で、その夢は断たれてしまいましたが、今、ボランティアとはいえ、小学校の図書室で、本の整理をしていると、幼い頃のはかない夢が、ほんのちょっとだけ叶えられたようで、幸せな気分になります。

一昨日も、図書ボランティアの活動日でした。
少し遅れて図書室に入ると、3年生の一クラスが、本を貸りているところで、図書室の中に、いつもより少しにぎやかな声が飛び交っていました。
本の整理を始めた私の側を、女子が2人、「何貸りようか・・・」とブツブツ言いながら通り過ぎます。
ちょうど、そこの棚で、「ノンちゃん雲にのる」を見つけた私は、
「これどう?おもしろいよ。」
と、聞かれてもないのに、そのおすすめの本を手渡しました。

不思議そうな顔して、それでもその子は受け取ってはくれましたが、どうやら貸し出しはしなかったようです。

私は、少しドキドキしていました。
そして、同時に、子どもの頃の夢を思い出し、ひとりニタニタ笑っていました。

小学生の私は、図書室の本の香りの中で、並ぶ背表紙を目で追いながら、ぼーっと過ごす時間が何より好きでした。
放課後、図書室の先生と、いろんなおしゃべりをしながら、校舎の一番高い窓から見た海。
様々な本に出会えた喜び。
図書室は、私にとって、心安らぐ癒しの場所でした。

ここ数年、児童書に触れる機会が多いので、自然読む本も岩波少年文庫のエンデやリンドグレーン、などを読み返したりしています。
夏休み中に、メアリー・ノートンの「空飛ぶベッドと魔法のほうき」、そしてエンデの小作品「魔法の学校」、富安陽子の「ほこらの神様」、息子が読んだ「ドリトル先生アフリカゆき」などを楽しく読みました。

特にロフティングの「ドリトル先生」シリーズは、小学生の頃、何冊か読んだのですが、この1作目の「ドリトル先生アフリカゆき」は、読んだ覚えがなくて、へえ~、ドリトル先生のバックグランドってこんなんだったのか・・・と再認識。
しかも、このシリーズの訳者が、郷土出身のあの井伏鱒二だということを今回始めて知り、今更ながらに少し驚いたりしました。

「床下の小人たち」の作者であるメアリー・ノートンは、子どもの頃には読んでいませんでしたが、今回読んだ「空飛ぶベッドと魔法のほうき」も、「床下の小人たち」同様、楽しい空想の世界と、人と人の関わりについてちょっと考えさせられるところもあり、なかなかおもしろい話でした。

子どもの頃に読んだことのある本も、大人になって読み返すと、新たな発見があったり、作者の深い想いに気付いたり・・・ということもあって、おもしろさ倍増。
児童書の深さについて、どこかの何かで読んだ事ありますが、大人の小説にはない奥の深さがあると思います。

でも、やっぱり、子どもたちに読んでもらいたいな。
子どもにしかわからないおもしろさがあると思うし、心の糧になればいいなあ~~と思います。


叶わなかった子どもの頃の夢が、息子のおかげで、別の形で叶ったことに感謝。
小学校の図書室にいるだけで、かなり幸せな気分になれたのでした。



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2011年5月 8日 (日)

「この国のかたち」再読

久しぶりに読書感想などを。

大震災と原発事故後、日本人は自らの生きるさまを問われているような気がしました。
どのようにこの国を再建すればいいのか。
私たち国民ひとりひとりは、何を覚悟し、何を目指せばいいのか。
特に、原発問題は、日本中に原子力発電所があり、なおかつ、どこで大震災がおきてもおかしくない地殻の上にある国である以上、他人事で片付けられる問題ではないと、思いました。

震災後、日本人の冷静で辛抱強い姿勢に、海外から多くの賞賛をあびる一方、チェーンメールや風評被害、買いだめや買占めなど、不確かな情報に流される不安定さもみえました。
原発事故への政府や行政の対応や、大本営発表並の隠蔽体質に不安感は頂点に達したのではないでしょうか。
政府や東電(大手企業)のいうことは信じられない。だから自分の身は自分で守るしかない。でも、このあふれかえる情報の何をどう信じて行動すればいいのか・・・。

万延と広がる“お国”に対する不信感。

「いつから、こんな国になったのだろう?」
そう思った時、この本のことを思い出し、本棚から引っ張り出して再読しました。

『この国のかたち 全5巻』:司馬遼太郎著(文春文庫)

司馬さんは、戦争中学徒動員で徴兵され、中国戦線を転戦後国内で終戦を迎えます。
戦車部隊にいた司馬さんは、終戦間近に、いざ内地戦となった時の戦車が南下する予定の道路を見て愕然とします。
作戦を遂行するためには、敵から逃げて北上してくる一般市民を戦車で轢いてしまうしかない道幅なのです。
国民を守るはずの軍隊が、これでは何の意味があるのか。
この不合理きわまりない作戦は、終戦で遂行されることはありませんでしたが、この時司馬さんは、日本はどうしてこんな国になってしまったのだろう・・・という思いに囚われます。
少なくとも明治維新や日露戦争の頃の日本人は、もっと合理的だったのではないか・・・と。
このエッセイの中でも、再三その事に触れられています。

この本は、文芸春秋に掲載されたエッセイをまとめたものです。
連載中に司馬さんは急死されました。
おりしも日本はバブルの最中からバブル崩壊後へ。
文中に当時の日本を嘆く文章は見当たりませんが、しかし、作者の中には、終戦以来再び、「どうしてこんな国になってしまったんだろう。」という思いが湧きあがっていたのではないだろうか・・・と想像します。

太古より稲作の民として生きてきた日本人。
大自然を尊び、厄介や災害をもたらす荒ぶる神を恐れ、平穏な暮らしと作物の豊作を願い、野や山にも神々を祀ってきた謙虚な民。
豊富な想像力と合理的な思考で、近隣諸国とは違った思想を生んだ江戸時代の学者たち。
様々な日本人たちが登場してきます。その都度、歴史を旅することは、現代につながるのだということを再認識させられます。

以前これを読んだ時には響かなかった文章が、今このような時だからこそ深く考えさせられることもあり、つくづく、司馬遼太郎という作家の凄さを思いました。

司馬さんが、このエッセイを通じて伝えたかったことは、何だったんだろう。

今の私たちがこうしてあるのは、先人たちが将来の日本を思って築き上げてきたものの上に成り立つのだ、ということ。
だから、私たちには、子や孫やそのまた子たちに受け継いで残していかなければならない物があるのだ、ということ。
悲しくも志半ばで亡くなっていった人たちが、生まれ変わってこの国に降り立った時、ああいい国になったな、と思えるような国にしていかなくてはならないこと。
それが、何なのかは、ひとりひとりが生涯かけて探していかなければならないのだということ。

「この国のかたち」を再読後、そんなことを思いました。

近頃こんなことばかり考えていたら、大好きな内田先生がブログでこんなことを書かれていました。→コチラ
後押しされたようで、勇気もらったんで、私もこんな途方もない思いを書き綴ってみました。

長いひとりよがりな文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2010年7月20日 (火)

床下の小人たち

息子が毎週通ってる、公民館の子ども文庫。
迎えにいっているので、時々私も借りて帰ります。
ジブリの映画にもなったし、ボランティアの方も薦めて下さったので、
「床下の小人たち」を借りてみました。

小人の冒険シリーズ・・・として何話かあるみたいです。
アリエッティという床下に住む小人の少女が主役です。

青空はもちろんのこと、床下の家しか知らないアリエッティは、ある事がきっかけで、人間の住む世界へと出かけて行きます。
恐い思いもするけど、初めて見る世界は、ドキドキやワクワクに満ちています。
不安と恐怖ゆえ、娘をいつまでも床下に留めようとしたり、大人の世界を隠したりする親の姿に、自分の姿を重ねたり、
人間は恐いものだと教え込まれているにもかかわらず、ふいに出会った少年と心を通わせる場面では、微笑ましくなったり、
そして何より、自分と、姿形も考えも違うものを、隣人として受け入れることができるかどうか・・・という、人間関係の構築の基本が描かれていることに、気付きました。

人間から“借りてくる。”・・・と言うアリエッティに対し、当初少年は、それは“盗む。”ことだと主張します。
自分と価値観も考えも違う隣人を、それでもにこやかに受け入れる・・・ということが大人であるとしたら、この少年は、小人たちを隣人として助けたことで、充分大人であるといえるかもしれません。
反対に、恐怖のあまり、小人たちを排除しようとした女性は、自分の事しか考えられない利己的な子どもといえるのではないでしょうか。

登場人物たちの内面が読み取れる、とてもいい物語だと思います。
ジブリ映画の方も気になります。


それにしても、児童文学は、本当に奥が深い・・・です。

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2010年6月16日 (水)

読書録・・・久しぶりに

梅雨の晴れ間を有効利用する間もなく、今日もはや、「晩御飯なにしよう・・・」と頭を悩ます時間となりました。

今日は、午前中近くの公民館での編み物サークル。
その後、美容院へ行き、旦那にも息子にも、「頭、真っ白よ!」と言われ続けていた髪を黒くしてもらい、図書館へ本を返しに行き、お腹すいたのでコンビニへ寄っておやつ買って、やっとこさ今帰宅でございます。


図書館へ返しに行って、新たに貸りてきた本は、前から読みたかった『天地人:火坂雅志著』上下巻、と、『流れ行く者:上橋菜穂子著』。
今夜から早速爆読みです。


さて、先日まで読んでいたものは・・・

『インザプール:奥田英朗著』文春文庫
以前偶然手にした、『空中ブランコ』の前作。
伊良部総合病院に地下にある神経科に訪れる様々な患者と、この病院の息子で精神科医の一郎が繰り広げる物語。
はちゃめちゃな医者なんだけど、その天然さゆえに、患者は癒しさえ覚え、「大丈夫か、この医者!」と怪しむものの、知らぬ間に抱える神経症も個人的な問題も解決している・・・という、楽しい話です。

先に続編の『空中ブランコ』を読んだので、一作目も読んでみようと思って読みましたが、伊集院一郎の詳細が書いてあるわけではなく、二作とも、ひとつづつ別の物語で、それぞれに患者が違い、一話完結の短編集となっています。

なので、とっても読みやすく、患者の悩みはシリアスなんだけど、医者が医者だけに、ほんとに笑える・・・けど、どこかホロっとさせらて、なるほどな~と納得もできる。

疲れた心と頭に、一本のビタミン注射。

そんな感じの2冊です。


こういう医者、いたらいたで恐いけど、今の世の中に必要なような気もします。
でも、周囲にこの手の人間がいたら、困惑するだろうな~。
時折発する言葉が真実ついてて大人だから、やはり大人なんだろうけど、やってることはまるで子どもなので、イラっとしそう。

でも、つくづく、子どもと大人の差って何だろう?と考えてしまいました。
私は、まだまだ、子ども・・・かな。
子どもが子ども育てていいのかな・・・。

悩みつつも時は過ぎ、そろそろ晩御飯の支度にとりかかるとしましょうか。
(そうこうしてる内に、子どものまま、一生が終わるのかも・・・。)

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2010年3月30日 (火)

心の栄養剤

「トモ、ぼくは元気です」香坂 直著:講談社
を読みました。

近くの公民館のこども文庫に毎週息子と通っています。春休みに入った先週は、時間もいつもよりは取れたので、私も何か借りようと本棚を物色中に、私の指先がこの本を選びました。本に呼ばれたとか…いう感覚を持たれる方は多いと思います。私の場合は、指先が「この本いいよ〜!」と教えてくれる感じで選んだ本は、その時の気持ちにドンピシャ、直球ど真ん中〜な事が多いです。不思議です。

こども文庫にある本なのでこども向けの本しか置いていないので、この本も勿論児童書で、高学年向け。

受験を控えた小学6年生の男の子の夏休みが、大阪の庶民的な商店街を舞台に描かれています。

何やら問題を抱え、苦しんでいる主人公は、祖父母の暮らす大阪で家族と一人離れ夏休みを過ごすために逃げて来ます。
読み進める内に、主人公や周囲の抱える問題が明らかとなり、逃げ出して来た主人公の辛さがひしひしと伝わってきました。

こども達がこれを読んでどんな感想を持つのか知りたいですが、この本は、大人、特に子育て中のお父さん・お母さんが読むとぐっとくるものがあると思います。

親は、グチャグチャ言わず度胸を決めて待たなくてはならない…とか、本当にわかり合える友達は近くにいなくても、たまにしか会えなくても大丈夫なんだ…とか、こどもの力を信じ見守る事の大切さとか、本当の自分に気づいた時の絶望感の後に訪れる強さ…とか、短いお話の中にたくさんの気づきがあり、溢れ出る涙の後に暖かいものが胸に広がってきました。

こどもに宛ててのメッセージとしても、とても大切な事が書かれていると思います。
ただどうしても大人に宛てたメッセージの方が際立っているように思えるのですが…こどもの心にはどう響くのでしょう?気になります。
いつかうちの息子が読む事があれば、是非感想を聞いてみたいですね。

春休み、ついついイライラして息子を暖かい目で見守る事を忘れ、眉を吊り上げ気味にしていた私は、心の疲れを補給してもらえたようで、増え続けていた眉間のシワが少し伸びたかも…な本でした。

2010年2月 2日 (火)

「弧宿の人」を読んで

宮部みゆき著:「弧宿の人・上下巻」(新潮文庫)を読み終えました。
久しぶりに、いい本に出会えました。

悪霊・毒殺・陰謀・・・江戸末期の四国の小藩を舞台に起こる様々な出来事。理不尽な状況に、登場人物たちも翻弄されていきます。
瀬戸内の真夏の夕凪にも似た、身体にまとわりつく不快な、しかしどうする事もできない無常。

「ご自身の内にある御仏とはぐれて、重い罪に手を汚された。しかし、加賀様の身の内は人のままだ。儚く空しく、卑しい人の身。じゃがしの奥底には御仏がおわす。御仏がおわす故に、人はけっして鬼や悪霊にはなれぬ。なり切れぬのだ。いっそなれた方がはるかに楽、はるかに安穏であろうにな。」

自分を見失いかける主人公のひとり宇佐に語る、英心和尚の言葉に胸がつまりました。

物語は哀しい結末を迎えます。涙が止めどなく流れ、それでも心の奥に優しい温かい思いが広がっていきました。
途中も何度も涙が出たのは、人の優しさが身に沁みたから。
この本に出会えて嬉しかった・・・読後の正直な私の感想です。


宮部みゆきさんの本はこれが2冊目。
読売新聞に連載されていた「三島屋百物語事続き」も終了しましたが、毎日とても楽しんで読みました。
宮部さんの作品をもっと読んでみたい。
次は何を読もうかな~。

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